お肉を食べるということ

田舎暮らし

小さい頃からお肉は当たり前に食べてきた。

お肉は、好きだ。

ハンバーグとか、チャーシュー麺とか、大好きだ。

ちまたでは、完全菜食主義が流行ったり、

また正反対に、糖質制限とか言ってお肉とかのタンパク質中心の食事ばかりしている人もいる。

野菜だけ食べてる方が体にいい。とか、

お肉を食べたほうが長生きする。とか、

世の中は言いたい放題だ。

「真実は、いつも真ん中にある。」

これは、ある人が私に教えてくれた言葉だ。

「世の中から真実を見つけたいなら、曇りなき目で真ん中を見なさい。」ってことだ。

右翼でも左翼でもなく、真ん中だ。

完全アナログでもなく完全デジタルでもなく、真ん中だ。

前回、日本人の祖先である「縄文人の心」についてブログを書いたが、古代の日本人は主に狩猟や山での採集などをして生きてきた歴史がある。農耕が行われるようになったのは、つい最近の歴史にすぎない。

縄文人は、山の神からの贈り物として、お肉や毛皮などを頂いてきていた。

だから、お肉も食べていたし、木の実やキノコ、野草、魚・・・などなど、さまざまなものを食べていた。

「真実はいつも真ん中」は、食に関しても言えるだろう。

お肉だけでもだめ、野菜だけでもだめ。

バランスよく、食べる方が、きっと良い。

しかし、現代の「お肉」について、

問題があるのは事実だ。

スーパーで販売されているお肉と、

狩猟で得たお肉は

訳が違う。

畜産業者に、無惨な扱いと、ひどい環境で育てられた動物たちのお肉を食べて、体に良いわけがない。それは、前回のブログで書いた通りだ。

かと言って、野菜は体に良いのかと言えば、スーパーに並んでいる野菜は化学肥料と農薬まみれだ。

自分で家庭菜園してみればよーく分かるが、

虫食いが無い野菜なんて、あり得ない。

虫も寄り付かないような野菜って、もはや食べ物じゃない。(自分で育てた野菜は、味も全然別物だけどね)

現在私は、

できるだけ、自給自足の生活をして暮らしたいと思い、

日々奮闘中だ。

自分で育てたものを食べて、生きていきたいと思って、

野菜を育てたり、パパが狩猟免許を取得したり、

ニワトリを飼ったりしているが、

「お肉を食べる」ということには、

まだしっかり向き合えていない。

食べるために、

自分が生きるために、

自分は動物を殺せるだろうか?

育ててみれば分かるが、

ニワトリ一羽一羽に性格もあれば、個性もある。

よく、ニワトリは「3歩あるけば忘れる」とか言われたり、

世間ではバカだと思われているけど、

それは大きな間違いだ。

人間のように心があり、

しっかりと意志を持って

日々一生懸命に生きている。

私たちとなんら変わりない、

かけがえのない生命だ。

可愛くて仕方ないニワちゃんの首を切り落とすなんて

できるんだろうか?

本気で考えたら、涙が出てくる。

でも、今まで自分が何も考えずに食べてきたお肉って、

そーゆーことだ。

殺める辛さを知りもせずに、

本当の「いただきます」という意味を知りもせずに、

今までどのくらいのお肉を食べてきただろうか。

動物が可哀想だから菜食は良い事だとか、

きれいごとなら、誰でも言える。

30過ぎてやっとだけど、

やっとここに気づくことができただけで、

今回の人生、一歩前進だ。

死と向き合えてこそ、食べる権利がある。

「自分で殺せないのなら、お前に肉を食べる資格は無い!」と、

神様から言われている気がする。

自分も日々「生きる」ということを学びながら、

私の背中を見て子供たちも一緒に学ぶ。

「生きる」という本当の意味について、

家族みんなで心から学んでいこうと思う。

今日もここまで読んでくれて、ありがとうございました!

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